函館で見かけた銅像 赤い靴の少女とは?
皆さん、こんにちは。千年鯨です。
皆さんは赤い靴という童謡を耳にしたことがありますか?
この赤い靴の歌を知ったきっかけは横浜をブラブラした時のことでした。
この前函館に行きましたが、そこにも赤い靴の少女像があったのです。
今回は赤い靴の歌について記します。
赤い靴の少女像 函館の基本情報
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赤い靴の少女像は赤レンガ倉庫の近くにあります。
市電の末広町駅から徒歩3分のところに位置しています。
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近くには赤い靴の歌詞が刻まれたものがあります。
赤い靴の少女像がある場所
赤い靴の少女像といえば横浜のイメージがありますが、他にも北海道の小樽や、東京の麻生十番、静岡にもあるそうです。
意外と様々なところにあるようですね。
他の赤い靴の少女像を見てみたいと思いました。
悲しい童謡 赤い靴とは?
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さて、この赤い靴の歌は悲しい歌と言われています。
どんな歌なのか紹介します。
赤い靴の基本情報
作詞者:野口雨情
作曲家:本居長世
発表年:1922年こと大正11年
赤い靴の内容
詩の内容を簡単にまとめると、
・赤い靴を履いた女の子が異人さんに連れられた
・出発地は横浜から
・あの子は今どうしているのかなと気になっている
というものです。
赤い靴を履いた女の子にはモデルがいた
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この赤い靴にはモデルの女の子がいます。
その女の子の名前は岩崎きみちゃんです。
作詞者の野口雨情はきみちゃんの話を知って、赤い靴の歌を作ったと言われています。
静岡からやってきたきみちゃんと母親
きみちゃんは静岡で生まれました。
そのことから静岡にも銅像があると言われています。
きみちゃんと母親は事情があって北海道に渡ることになりました。
函館できみちゃんと母親、別れる
函館に渡ったきみちゃんは当時2歳。
当時の北海道は開墾の土地であり、幼いきみちゃんにとっては過酷なところでした。
そのことからアメリカ人の宣教師夫婦にきみちゃんを託したそうです。
その後のきみちゃん 東京で……
ある日、アメリカ人の宣教師夫婦に帰国するよう命令が下ります。
宣教師夫婦はきみちゃんを連れて行こうとしましたが、運が悪いことにきみちゃんは病に侵されてしまいます。
宣教師夫婦は東京の孤児院にきみちゃんを預けて別れました。
きみちゃんは母親に再会したいという想いを抱きながら短い生涯を閉じるのです。
彼女は東京の墓地で眠っていると言われています。
まとめ
赤い靴の歌について調べてみました。
函館や静岡、東京など所縁ある歌であることを知りました。
なんて悲しい物語だろうと感じましたね。
子供が幸せになってほしいと願う母親、そして母親を恋しいと思いながらも短い生涯を終えていったきみちゃんの心情を思うと胸が痛くなりました。
最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。