心霊スポット 愛知県長久手市の血の池公園に行ってみた
皆さん、こんにちは。
私が以前、長久手古戦場公園についての記事を書きました。
さて、この長久手古戦場公園では小牧長久手の戦いが起きた場所として有名ですが、公園の近くにも戦いの名残がある場所があります。
それは血の池公園です。
名前が物騒な公園ですが、どんな場所なのか知るため実際に行ってみました。
Ψ——Ψ——Ψ——Ψ——Ψ
血の池公園の場所、行き方
血の池公園は長久手古戦場公園から徒歩で6分くらいのところにあります。
ご近所さんです。
心霊スポットを次から次へと簡単に移動できます。
血の池公園の怖い話とは?
さて、なぜ血の池公園と恐ろしい名前が付けられたのかということですが、ここにはとある伝説があるからです。
徳川軍の武将かつ十六神将の一人である渡辺盛綱らが戦いで槍や刀についてしまった血を池で洗いました。
それから毎年合戦があった4月9日になると池の水が赤くなるそうです。
徳川四天王・徳川十六神将とは?
徳川四天王については耳にしたことがありましたが、徳川十六神将は初めて耳にしたので調べてみました。
どちらも徳川家康を支えて後の江戸幕府へと貢献した人々のことをさします。
四天王や十六神将は仏教に出てくる4や16の数字にちなんだものと言われています。
守護神のように彼らを尊敬していたとのことです。
簡単に言うとRPGやアニメで言う伝説の人たちってことですね。
徳川四天王
徳川家康が人質の頃から長い付き合いだった関係であり、江戸幕府が開かれるには必要不可欠な存在でした。
メンバーは井伊直政・酒井忠次・榊原康政・本多忠勝です。
徳川十六神将
彼らも四天王と同じく江戸幕府が開かれる際に貢献しました。
江戸時代には東照宮信仰の絵図で徳川家康を中心とし、十六神将が囲んでいる絵があったそうです。
現在の血の池はグランドになっている
そんな恐ろしい話がある血の池公園ですが、現在は埋め立てられてグランドになっています。
サッカーができそうなくらい広々としたグランドです。
埋め立てられたら問題なんてないのではと思いましたが、グランドの辺りが赤く染まるとか生首が飛んでいるらしいとか他にも噂はあるそうです。
実際に訪れてみましたが、特に怖いと思ったことはなかったですね。
名前にはぎょっとしますが、怖いのはとっくに過去のことだと感じました。
血の池はなぜ埋め立てられたのか?
私が気になったのはなぜ血の池は埋め立てられたのかです。
ざっと調べてみましたが、これといった理由はありませんでした。
そういうわけで勝手に考察してみようかと思います。
大きな池だと子供が落ちて危ないから
グランドとなった血の池を見たとき、とても大きな池だったんだなあと思いました。
もしこの池に子供が落ちたらと考えると恐ろしいですね。
深さはわかりませんが、これだけ大きな池だと安易に岸に上がるのは難しいと思いました。
恐ろしい伝説の池をそのままにしたら人々が住まなくなる恐れがあるから
血の池はある意味、事故物件みたいなものですね。
大抵事故物件が好きな人はあまりいません。
長久手市はベッドタウンとして有名ですが、開発する時に恐ろしい伝説の池があったら業者にとっては都合が悪いことです。
そのことから臭い物に蓋をするということで、埋め立てられたかもしれません。
長久手の他にも血の池の伝説はある
師岡熊野神社の血の池
ネットで調べてみたら、長久手だけではなく他の町にも血の池の伝説がありました。
それは横浜市港北区にある師岡熊野神社。
さっと調べたところ、ここにある血の池も埋め立てられていました。
悲しい伝説があるとのことなのでいつか訪れてみたいなあと思いました。
源義朝の最後の地? 野間大坊 血の池
場所は愛知県知多郡美浜町野間にある野間大坊。
そこには鎌倉殿の13人で話題の源頼朝、そして義経の父親である源義朝の最後の地という伝説、彼の首を洗ったとされる血の池があります。
そういうことから怖い噂や伝説が残っているそうです。
ここも訪れてみたいですね。
Ψ——Ψ——Ψ——Ψ——Ψ
|
最後まで読んでいただき誠にありがとうございます。
日本には様々な古戦場があるとのことなので、他にも訪れてみたいですね。
これを機に歴史を深く学んでみたいと思いました。