深く見れば面白い ジブリ映画『崖の上のポニョ』の考察と感想
5月といえば端午の節句ですね。
端午の節句とはこどもの成長を祈願する古くから続く行事です。
その時期と重なるように2022年5月6日の金曜ロードショーでジブリ映画の崖の上のポニョが放送されました。
なぜ端午の節句と崖の上のポニョを連想したのかというと、映画からとある要素を感じたからです。
端午の節句とは? こいのぼりの伝説
端午の節句とは5月5日のこどもの日に行われる行事であり、こどもの成長や健康を祈ります。
こいのぼりや兜や五月人形、ちまきや柏餅が用意されます。
また単語の節句は菖蒲の節句とも呼ばれています。
このことから菖蒲湯に入る風習があります。
こいのぼりは故事成語から
5月になるとこいのぼりを見かけることがあると思います。
なぜこいのぼりが端午の節句で飾られているかですが、それは故事成語からでした。
故事成語とは昔の出来事から作られた言葉であり、主に中国の出来事から作られました。
このこいのぼりと関係ある故事成語は『登竜門』です。
登竜門とこいのぼりのつながりとは?
中国にはとある伝説があります。
それは中国の黄河の上流にとても流れが速い滝こと竜門がありました。
その流れに抗った鯉が登ると竜になって天を舞ったとのことです。
そこから登竜門と言葉が生れました。
難しい壁を乗り越えたことによって出世できるという意味として使われるようになったのです。
昔はこいのぼりは武士の間で行われていましたが、庶民の間にも伝わりこいのぼりが次々とあげられるようになりました。
崖の上のポニョとは?
崖の上のポニョは2008年に公開されました。
海の町に住む男の子の宗助に助けられたことがきっかけで魚の女の子のポニョは人間になりたいと願います。
そのことによって大きな騒動が起きたのでした。
人魚姫をモチーフとして描かれていると言うのが有名な話ですね。
崖の上のポニョの考察と感じたこと
前半に端午の節句について説明しましたが、ここから崖の上のポニョと連想した理由について記そうと思います。
ポニョが人間になる場面と登竜門
魚が人になるのは大きなことです。
生態系が大きく変わるものですから、普通はできません。
しかし、ポニョはそれをやり遂げました。
海から陸上へ上がるあの瞬間はまさに登竜門の状況と同じだなと思ったのです。
崖の上のポニョというと、冒険物語だとかポニョと宗助の恋物語と言われいますが伝説物語という視点からみると面白さが増えますね。
宗助が両親を呼び捨てしている理由
大抵子供は親を父さんや母さんと呼んでいます。
敬うべき人を呼び捨てするとは大抵の人は眉をひそめるものです。
しかし、母親であるリサは宗助の行動に目くじらを立てませんでした。
なぜ宗助とリサの関係が成り立っているのかと気になっていましたが、対等を重視しているのかなと考えられます。
子供というくくりではなく宗助を一人の人間として見ているのではと思ったのです。
呼び捨ては親しい人同士が使う者であることから親近感を感じられますね。
へりくだったりするものですから、無礼だなと感じることもあるかもしれません。
しかし全体の様子を見ていると互いに支え合っており、悪態をついている様子が見られませんでした。
宗助を支える大人たち
物語の中間地点にて宗助はポニョと共に船で探索をします。
大人たちは宗助を子供だからという目で見ずに少し支えながら見守っています。
ある意味この町に起きた騒動は宗助にとって通過儀礼かもしれませんね。
先ほど記したこどもの日やこいのぼりの由来から考えるとこの騒動は宗助にとっての登竜門だと感じました。
ポニョの父と母の決断
子供というくくりを乗り越えて見つめているのは宗助の母親だけではありません。
ポニョの父と母も娘の行く末を考えながら、宗助を信じていくのです。
宗助に娘の今後を託すとは大きな決断をしたものですね。
小さな宗助とポニョを信用して彼らの行く末を認めるとは並大抵のことではありません。
親と子の関係の在り方について考えられました。
まとめ 考察をすれば見方が変わっていく
崖の上のポニョについて軽く考察をしてみました。
初めて映画館で見たときはなんとなく面白かったなあと思ったのですが、大人になってから見ると視点が変わりますね。
子供の成長を願って作られたのを感じました。
こどもだからというくくりを通り越してみると視点が変わるものですね。
親としてこどもにできること、託せることは何だろうかと考えられました。
最後まで読んでいただき誠にありがとうございます。
皆さんの視野が広がっていくことを祈ります。
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