京都の不思議、魔界スポット 一条戻り橋の伝説とは?歴史や名前の由来について解説
みなさん、こんにちは。千年鯨です。
今回紹介するのは京都にある一条戻り橋です。
実は京都には不思議な伝説が残る場所があり、魔界都市と呼ばれているのです。
今回はその魔界スポットの一つである一条戻り橋の歴史や伝説、名前の由来についてご紹介します。
京都府京都市『一条戻橋』の基本情報
一条戻橋は京都市上京区の堀川に架けられている橋です。
実は一条戻橋は平成7年に架け替えられており、旧一条戻橋の親柱を利用かつ再現した橋が近くの晴明神社で見られます。
主な基本情報は以下の通りです。
場所 | 京都市上京区一条堀川東入 |
アクセス | 市バス9系統で京都駅から30分「一条戻橋・晴明神社前」下車 |
京都の魔界スポット 一条戻橋の歴史と伝説とは?
https://www.photo-ac.com/
魔界スポットの一つとして有名な一条戻橋は様々な歴史がある有名な橋です。
一条戻橋はかつて土御門橋と呼ばれていましたが、とある伝説がきっかけで現在の名前になりました。
これから一条戻橋の歴史や名前の由来となった伝説についてご紹介します。
一条戻橋の歴史

一条戻橋は平安遷都に当たる年である794年に架けられました。
かつては土御門橋と呼ばれていたこの橋は都の北側にあり、都の外と中の境目という位置にいました。
その他にも、死者がこの橋を経由して都の外の墓地へと運ばれていたことからあの世とこの世をつなぐという役割もあったのです。
有名な伝説の他にも一条戻橋では以下のような恐ろしい出来事がありました。
天文13年(1544年) | 細川晴元による命令で三好長慶の家臣和田新五郎が鋸挽きという刑に処された |
天正19年(1591年) | 豊臣秀吉に切腹を命じられた千利休の首がさらされる |
慶長2年(1597年) | 豊臣秀吉によって捕らえられた宣教師とキリシタンたちが耳を削ぎ落とされる |
一条戻橋はこれまでに何度も移動していた?
一条戻橋について調べてみると興味深いことがわかりました。
というのは、一条戻橋はこれまでに何度も位置が変わっていたことです。
一条戻橋は一条堀川にかかっていますが、『京都の歴史 第五巻』(出版・編纂 京都市史編さん所)では中立売通にかかっていたなどの記載があるとのことです。
中立売通にかかっていたときは萬年橋と名前を改めており、徳川和子が後水尾天皇に入内するタイミングで変わいました。
というのは、戻橋は縁談に向いてないなど不幸な噂が広まっており、徳川和子が入内の時には通るのに相応しくありません。
そこで元の悪いイメージを払しょくするために名前が変えられたという狙いがあると言われています。
一条戻橋の伝説 三善清行の蘇生
https://www.photo-ac.com/
土御門橋と呼ばれていた橋は平安時代の中期に一条戻橋へと名前が変わりました。
名前が変わったのは仏教説話集『撰集抄』や『三国伝記』に記載されている平安時代の公卿かつ漢学者、三善清行の蘇生の伝説がきっかけです。
その伝説とは以下の通りです。
1.三善清行が急死し、その知らせは紀州熊野で修行していた息子こと浄蔵に届く
2.浄蔵は急いで都に向かい、父親の葬列が一条戻橋を渡ろうとしたところに遭遇する
3.父の死を悲しんだ浄蔵はお経を唱え始める
4.その瞬間、三善清行が生き返って親子の最後の対面を果たす
この伝説から『死者が黄泉から戻る橋』として戻橋として呼ばれるようになりました。
一条戻橋の伝説 百鬼夜行の始まりの地
https://www.photo-ac.com/
突然ですが、みなさんは怪談ではたまに聞くことであろう百鬼夜行についてご存知でしょうか。
百鬼夜行とは妖怪たちが夜の闇の中を行列し、うろうろとするという様子をさします。
平安時代の京都には古道具が妖怪付喪神となって、一条通を通ったという伝説があり、一条戻橋が出発の地という噂があります。
百鬼夜行の伝説から、大将軍商店街では妖怪ストリートとして町おこしをしています。
一条戻橋の伝説 安倍晴明の式神の隠れ場所
https://www.photo-ac.com/
旧一条戻橋を再現したものが安倍晴明を祀る晴明神社に設置されているには理由があります。
というのは、一条戻橋は安倍晴明の式神の隠れ場所として使われていたのです。
安倍晴明は家来として十二神将という式神たちを使っていましたが、安倍晴明の妻は式神を怖がっていました。
そのため、安倍晴明は橋の下に式神を隠したのです。
隠された式神は一条戻橋を渡る人の占いこと橋占をしていたという伝説も残されています。
一条戻橋の伝説 渡辺綱と鬼女(橋姫)の伝説
https://www.ac-illust.com/
平家物語にも一条戻橋に関する話があります。
平安時代中期の武将かつ、源頼光の四天王の一人である渡辺綱に関する話です。
ある日、頼光から用事をたのまれた渡辺綱は帰り道に一条戻橋を通りました。
そこで美女に出会った渡辺綱は夜道は危険だからということで彼女を馬に乗せることにしたのです。
美女の家の場所を聞いた渡辺綱が送り届けると申し出た瞬間、美女が本性を現しました。
実はこの美女の正体は鬼、渡辺綱の髪を掴んで愛宕山の方に行こうとしたのです。
その後どうなったのかというと、渡辺綱は冷静に鬼の腕を日本刀「髭切」で切り落としました。
あの刀剣乱舞に出てくる「髭切」なんですよね。刀剣乱舞のファンの方こと審神者や「髭切」推しにとっては聖地そのものですね。
一条戻橋の伝説 安徳天皇の運命が占われていた
https://www.photo-ac.com/
源平盛衰記でも一条戻橋が出てきます。
どんなエピソードかというと、高倉天皇の中宮である建礼門院が安徳天皇を出産する際、建礼門院の母である二位殿が一条戻橋で占いを行いました。
その際、12人の童子が安徳天皇の予言を歌いながら橋を渡ります。
この12人の童子の正体は先ほど紹介した安倍晴明の式神こと十二神将なのではと書かれているとのことです。
一条戻橋の伝説 結婚や出兵などその他の伝説
https://www.photo-ac.com/
世間一般では戻橋にちなんだゲン担ぎが行われていました。
・嫁入り前の女性は実家に戻らないようにと戻橋を通るのを避けていた
・戦争の際、出兵する兵士が無事に戻ることを祈って戻橋を渡っていた
また、江戸時代には処刑される人が市中引回しの最中、戻橋の上で花と餅を供えさせたこともあったとのことです。
参考:日本歴史地名大系
一条戻橋に実際に行ってみた感想

様々な怖い話や噂、伝説が残っている一条戻橋に行ってみました。
京都の中心地から北西に位置している一条戻橋はあまり観光客がいなくて、過ごしやすいところでした。
オーバーツーリズムによる人混みが嫌になったらここに来るのをおすすめします。
堀川には遊歩道があり、散歩やジョギングするにはちょうどよいですね。

一条戻橋から二条城まで遊歩道を使えば信号にひっかからずにいけるので便利です。
ちょっとだけ移動時間を短くしたい方にはおすすめします。
肝心の一条戻橋の感想ですが、あまり怖い雰囲気は感じませんでした。
日常風景に溶け込んでいるので、もう怖いことはないかもしれませんね。
まとめ 一条戻橋は歴史や魅力がいっぱい
京都一条戻橋には様々な怖い話や歴史がこめられていてすごいところであることがわかりました。
さすが魔界スポットと言われるだけのことはありますね。
平家物語の舞台、そして刀剣乱舞の聖地でもあるので気になった方はぜひ一度訪れてみることをお勧めします。
最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。